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2013年07月15日

「政治家らしい演説」の時代は終わった



「政治家演説コース」の個人レッスンを受けに来た、ある男性。

政治家として長い経歴を持ち、立派な方でした。

有権者が、自分よりも若く経験のない無名の候補を選んだことに、その男性は真剣に向き合おうとしていました。

レッスンに来て、まずいつもどおりに演説してもらった。
すぐに、僕は有権者の気持ちを理解した。

その人の演説は、あまりにも「政治家らしい」ものだったのです。


「〜不徳といたすところでございます。」
「有権者の皆様にお誓い申し上げます。」
「何とぞ、皆様のご支援を切にお願いする次第でございます。」

こういった「政治家ことば」を多用した、やや絶叫系の演説。


一般市民の感覚では、これは「前時代的な政治家」をイメージさせます。
汚職や癒着の多かった利権政治の臭いを感じてしまうのです。
演説でどんなにいいことを言っても「お誓い」されても、全く実行してくれなかった過去の政治家たちへの失望を思い出します。


街頭でこんな政治家らしい演説を聞くと、「ああ、またか」と素通りするか「うるさいな」と思う人がほとんどで、わざわざ足を止め耳を傾けてくれる 人はごく稀でしょう。


有権者が投票するのは、期待させてくれる人です。
政治家らしい演説は、立派どころか逆効果。
政治家も「わかりやすく」「自分の言葉で」伝える時代であり、それができない候補者は、できる候補者に勝てない時代なのです。


レッスンでは、政治家ことばを使わずにスピーチをする、実体を伴った言葉を選択するトレーニングを実行しました。
慣れないことに四苦八苦しておられましたが、だんだんとストレートに伝わる演説に変わっていきました。

すると、不思議なことに彼の表情も生き生きとしてきたのです。
言葉を飾らず伝えようとすることで、自然と「熱意」がこもるようになりました。
言外にも、「政治を良くしたいんだ」というオーラのようなものが感じられるようになったのです。


「こんなことを変えたい」と言ってる当の本人が、これまでの演説の定型にとらわれていては説得力がありません。
とはいえ、政治家だから政治家らしくという思い込みから自由になるのは、なかなか難しいものです。
だからこそ、話し方の分析とトレーニングができるベストスピーカーの扉をたたかれるのでしょう。
posted by 高津和彦 at 16:17| Comment(0) | 政治家演説エピソード
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