日本語は、とても豊かな表現ができる言語です。
単に音を表す「表音文字(ひらがな・カタカナ)」と、意味を含んだ「表意文字(漢字)」を混ぜて使う、世界でも稀な特色があります。
「書きことば」と「話しことば」に大きな違いがあることも、特徴のひとつです。
日常で、「書きことば」のような話し方をする人は、まずいないでしょう。
ところが、演説やスピーチでは、どちらかと言えば「書きことば」に近い話し方をしてしまいます。
それは、演説やスピーチの内容を「書きことば」で考えてしまうからです。
そして、その原稿を見ている(または暗記している)のは、あなた1人だけ。
聴衆は、音声のみ・しかも初めて、その演説を聞くのです。
そのことに対して、何か配慮していますか?
前々回の「政治家ことば」にも通じる話ですが、政治家・政治家志望の方々は、とかく「難しい言葉」を使います。漢字が連続する熟語をたくさん使っている方が、頭がよく聞き手に尊敬される演説のように錯覚しています。
僕にスピーチトレーナーを依頼してきた人たちのほとんどがそうでした。
これが、大きな落とし穴。
ふだん使わない言葉は、耳に入ってから意味を理解するまで、時間が余分にかかります。
同音異義語がある言葉だと、いくつかの意味を思い浮かべ文脈から適切なものを選択する作業が脳内で行われ、さらに時間がかかります。
つまり、あなたが言葉を発してから相手が理解するまでに、わずかながらタイムラグが生じるのです。
難しい熟語・同音意義語がある熟語を多用すると、聞き手は何度もこのタイムラグを味わいます。
これはそのまま、あなたと聴衆との「心の距離」として積み重なっていきます。
また、あなた自身も日頃使わない言葉を頭に思い浮かべ、口に出すまでに、頭の中を遠回りして感情が言葉にのりにくい状態になっています。
だから僕は、「伝わる演説・心に響く演説がしたいなら、原稿を書くな。箇条書きメモ程度にして、あとは自分自身の言葉で話せ」とよく言います。
もし、どうしても原稿が必要だと言うのなら、メモをもとにスピーチしたものを録音して、それを書き起こす方がずっといいものができあがります。
下の文を見て下さい。
・こかつがけねんされるかせきねんりょうをだいたいする、こうきゅうてきなエネルギーがかつぼうされている
漢字でないというだけで、読んで意味を理解するまで余分に時間がかかりませんか?
演説の聞き手も、これと同じことを味わっているのです。
しかも音声だけなのですから、もっと大変です。
もし、これが…
・いつかなくなることがしんぱいされているせきゆにかわって、ずっとつかえるエネルギーがつよくもとめられている。
これなら、すぐにわかりますよね?
政治家の演説、特に街頭演説では、どんなに素晴らしい理念を語っていても「聞き取れない」「意味がわからない」では、すぐに聴衆は立ち去ってしまいます。
それどころか、苛立ちや怒りを覚える人さえいるでしょう。
聴衆に寄り添っていない言葉で、いくら「国民にやさしい政治」を語っても、有権者の心には届かないということを、政治家・政治家志望の方々は忘れないでいて下さい。
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